日本美術散歩 06-3 (海外美術は別ページ)
| 化け物の文化誌展 06.10 | 荒木経惟ー東京人生 06.10 | 歌川国芳 06.10 | 駅2006 06.10 |
| 大江戸動物図館 06.10 | 田中一村 06.10 | 浦上玉堂 06.11 | 美ボ展 06.11 |
| UKIYO-E 06.11 | 山本丘人展 06.11 | 現代日本画名作展 06.11 | 大川美術館 06.11 |
| 揺らぐ近代ー日本画と洋画のはざまに 06.12 | 東京国立近代美術館 常設展 06.12 | 応挙と芦雪 06.12 | 興福寺国宝館06.12 |
| 興福寺東金堂 06.12 | 奈良国立博物館 06.12 | 千住博展 06.12 | 迷宮+美術館 06.12 |
| 旅行けば:練馬区立美術館 06.12 | 山口晃個展:ラグランジュポイント 06.12 | 戸方庵井上コレクション 06.12 | 大津英敏展 06.12 |
| 柄澤齋展 06.12 | 摺師・正文堂の仕事 06.12 | 川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩 06.12 | 川崎小虎と東山魁夷 06.12 |
目 次
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だんだんに、西洋的なテーマになっていきます。静物、動物、鳥、人物そして自転車の絵まで描いています。どれも穏やかな色彩で気持ちが和む絵で、《小梨の花》《春庭》《ひよこ》が私は好きです。《春庭》では2匹の仔犬が体を寄せて気持ちよさそうに庭で寝ている絵です。 小虎の女婿である東山魁夷の画は相変わらずの風景画。これも穏やかな絵です。多分小虎も魁夷も穏やかな豊かな生活を送ってたのでしょう。(2006.12t) これほど沢山の川崎小虎を見たのは初めてである。ロマンティックな絵で見ていて疲れない。お気に入りの第一は《沈鐘》。水底に沈んでいる。緑の水草に囲まれて眠っているようである。《狐火》は上杉謙信の娘八重垣姫が婚約者の武田勝頼に父の罠を知らせんと摺るところ。《小梨の花》は三浦環宅の玄関。《春の訪れ》、《囲碁》、《教会堂の夜》、《浜に立つ女》、《麻布に桃》、《行く秋》、《雪静か》、《春庭》、《最果ての駅》、みみずくの《三兄弟》も良かった。 小虎が見せた写真集の景色を尋ねて東山魁夷夫婦が北欧を廻って画を描く話も良い。《白夜》はスウェーデン、《林のささやき》はデンマーク、《スオミ》はフィンランドとのこと。二人とも絵巻の模写をしている。小虎は《土蜘蛛草紙》と《百鬼夜行》、魁夷は《信貴山縁起》と《伴大納言》。小虎の遺伝子は子供の鈴彦、春彦、麻児に伝わっていることがそれぞれの展示作品から分かった。(2007.1a) |
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| 川柳は江戸時代から多くの人びとに親しまれている。俳句が主として自然を詠んでいるのに対して、川柳は人情の機微や社会生活の矛盾などをユーモアや風刺を込めて口語調で詠んでいるのが特徴である。 今回の展示には、江戸名所・旅・なりわい・吉原・歌舞伎・信仰・遊戯など、江戸時代の人びとの暮らしの哀歓を詠んだ句が約200点並んでいる。これについては入口で配布された川柳の解説書を読むとよく分かることになっている。
私はもっぱら浮世絵の鑑賞をしたいのだが、川柳も気になってつい説明書のほうにも目がいく。集中すべき対象が二つあるため、かなり時間がかかる。そして疲れる。一緒に行った家内はその後の予定があるため30分で出て行ったが、わたしは3時間もいて浮世絵の作者や画題を書きとめたりした。 一例をあげると、有名な広重の《名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿》が展示されている。例の大きな馬の脚の向こうに宿場が見えている画である。ここの川柳は「新宿の子供は早く背が伸び」である。案内書を読むと、馬糞を踏むと背が伸びるという俗説を踏まえて詠んでいるということが分かるという仕掛けである。 もう一例。ゴッホが模写したことで有名な広重の《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》の傍の川柳は、「いい日和梅から亀へおし廻し」。この場合の梅とは亀戸の梅屋敷、亀とは亀戸天神の略称で、小春日和だからこの2ヶ所を廻るといった意味。これは広重の画やそのタイトルをみれば何となく想像がつくが、やはり説明書を見てしまう。 したがって、まずこの説明書を手に入れて、これを読んでおいてからこの展覧会に行くのが正解であろう。入場料は僅か100円であるから、費用は問題ではない。 この企画展は4階で開かれていたが、2階に降りると「ミニ企画コーナー」があって、館蔵の浮世絵が出ていた。河鍋暁斎の博物図《古今珍種》、国芳の《風流人形 当盛見立て人形の図 二かい座敷の図》と《一流曲独楽 竹澤藤次》、作者不明のラクダ図が面白かった。(2006.12a)
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摺師とは「一枚の馬連(ばれん)を懐中にして飛び出せば、何処に往っても、食うに困らないといふ、腕一本の職業である」という。その馬連が展示してあり、右のポスターにも大きく印刷されている。
懸け紙では「横浜名物 千代田の栗最中」のイガから飛び出す栗が上手く描けていた。 マッチラベルでは「かつ半」の豚の顔が面白かった。豚が三段に摺られているが、これは後で奥さんが切り離してマッチ箱に貼り付けたとのことである。ちなみにこの「かつ半」は現在も中区長者町6丁目で営業中。 カラー印刷の発達により、正文堂は20年ほど前に廃業しているが、残された作品や道具をみると、彫師や摺師が手間暇かけて作ったアートが実用に供されていたのはそれほど昔ではないことに気づく。木版画の歴史の一面を教えてくれる良い展示である。 そのあと常設展もみてきた。入口におおきな仏像の複製があった。鎌倉浄光寺の《木造勢至菩薩》で鉈彫りの味がよく出ていた。これも複製だが、伊勢原市宝城坊の《日向薬師》も良かった。 画では、横浜宝生寺から十王図が4枚出ていた。地獄の裁判官であるが、かなりの迫力。 室町時代の啓孫の《出山シャカ図》も味わいのある画だった。 丹波コレクションから摺りの良い浮世絵が多数展示されておりエンジョイした。とくに一龍斎芳豊の《中天竺舶来大象之図》は1863年にマラッカから来た像を描いたもので、遠州屋彦兵衛版のものだった。 五姓田義松の《少女像》はかわいらしい田舎風の娘、《一ツ橋》・《風景》もそれなりに楽しめた。 (2006.12a) |
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| 柄澤 齊(からさわ ひとし)の名前を知ったのは最近のことである。松涛美術館で開かれた「迷宮+美術館ー コレクター砂盃富男が見た20世紀美術」で非常に印象的な二つの柄澤 齊の作品を観たからである。それは大腿骨にアダムとイヴを描き込んだ《神話B》と裏返しの心臓が載せられているラテン語が書かれた皿《地の皿》であった。 ところが偶然のことに柄澤 齊の初めての回顧展が鎌倉で開かれているという情報を知ったので、なんとか時間を都合して閉展前日に滑り込んだ。 「イメージの迷宮に棲む」という形容詞が柄澤の上についている。二つの展覧会は「迷宮」というキーワードを共有しているのである。
第T章 小口木版画がこの展覧会の中心で、初期中間版画、肖像T−XXX、死と変容、方丈記、植物の睡眠などに細分されていた。この木口版画が所狭しと掛けられている展示室にたたずむと、本当に異次元の世界に連れ込まれた感じがする。 第U章は、コラージュで摺り損じた材料を貼り付けたものと書いてあるが継ぎ目がまったく分からない。 第V章は、リーブル・オブジェ。西洋の古書を利用した立体コラージュやボックスオブジェであるが、柄澤の文学に対する傾倒が表れている。 第W章は、水彩・素描(細密画)であるが、彼の技術の高さを示している。第X章は墨の作品「和風マーブル」、第Y章は装画・装丁・挿絵である。 お気に入りの作品は↓
図録も素晴らしい。本の装丁・装画も手がけるアーチストだけに、図録そのものがアートである。新作の版画1枚がおまけで付いていた。 (2006.12a) |
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| 群馬の経済界の重鎮井上房一郎のコレクションで、群馬県立近代美術館に寄贈されている。これは日本と中国の水墨画のコレクションとしては全国でも指折りの質の高い有名なものである。 200点以上のコレクションの中から、今回は厳選された60点あまりが出展されている。 日本絵画だけでも、一休、雪村、狩野永徳、元信、山楽、探幽、海北友松、岩佐又兵衛、宮本武蔵、俵屋宗達、尾形光琳、乾山、中村芳中、酒井抱一、池大雅、池玉潤、浦上玉堂、丸山応挙、谷文晁、司馬江漢、北斎、大塩平八郎、白隠、仙高ニくればオールスター勢ぞろい。 主な作品の感想を下記にまとめてみる。
(2006.12a) |
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今回の展示は意外なテーマであるともいえるが、これは氏の持ち前のユーモア精神と観客を飽きさせないサービス精神に基づくものであろう。解説によると「今回の作品では図像を読み解く事から更に意識を広げて『絵を体験する』というテーマに挑戦した」とのことである。これが今回のラグランジュポイントという展覧会名の意味なのであろう。 (2006.12a) |
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主な油彩・水彩の画家の名前を挙げると、麻田鷹司、奥田元宋、小野具定、田崎広助、斉藤長三、池田幹雄、福井爽人、榑松正利、中尾彰、大沢昌助、塙賢三、山口薫、水田舜人、河井新蔵、田辺三重松、鳥海青児、萬鉄五郎、野見山暁治、佐藤敬。 この他に昭和初期の「日本版画協会」が選んだ「新日本百景」のうち17点も出品されていた。このシリーズは美術出版社の「浮世絵の歴史」にも書かれていないもので、今回初めてお目にかかった。学芸員らしき女性に聞くと、「新日本百景」のコレクションはこの美術館の誇りだとのことである。台北や平壌の風景が日本の風景の中に入っているだけでなく、その選定文書には「銃後の眼」・「報国精神」・「木版部の総動員」などいう文章が存在しいている。このため戦争記録画の場合と同じくアジアの人への反応を考えてあまり公にされなかったのではあるまいか。 主要な作品はデータベースに著作権を保護された画像として美術館のホームページにアップされているので、下記の感想表からリンクを張っておいた。
(2006.12a) |
| 迷宮+美術館 コレクター砂盃富男が見た20世紀美術:松涛美術館
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いさはい・とみお氏はユニークな人である。日銀マンだったのだ。そのくせ自分で20世紀アートを制作・評論・蒐集するという三面六臂の阿修羅のような人物だ。1992年から2001年まで前橋市内で開館していた「イサハイ・ベル・イマージュ美術館」に展示されていた砂盃富男のコレクションから今回出展されている。 観てみると、この展覧会は前衛美術の集合である。そして作者の数が多い。この砂盃氏は「20世紀美術のウォーキング・ディクショナリー」だったのだと思う。 展覧会の第1部は、海外作家のコレクション、第2部は戦争と画家たち、第3部は国内作家のコレクション、そして第4部は砂盃富男の活動である。 印象深かったのは、第1部ではヴォルスの毛の生えた《心臓》と着色された《ミル収容所》、ポスターの画であるサビエの《オスロから来た若い女》、書の影響を受けたアレシンスキーの作品、サム・フランシスのそのほかは青い《上部の黄色》などである。 第2部では、ピカソの《フランコの夢と嘘》、ミロのポスター《スペインを救え》、浜田知明の初年兵哀歌ともいうべき《風景》、上野誠の原爆の像《火の中の鳩》である。 第3部では、金子真珠郎の《Phase》、草間弥生の大きな点描《野に忘れた帽子》、小山田二郎の《鳥女》、柄澤斉の大腿骨にアダムとイヴを描き込んだ《神話B》と裏返しの心臓が載せられているラテン語が書かれた皿《地の皿》であった。 第4部の砂盃富男の作品としては《煌く森の炎》が良かった。また彼がクリスト/ジャンヌ・クロードの梱包藝術の紹介者であったことも初めて知った。 (2006.12a) 画家の説明のあるサイトへのリンク
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ところが昨日から『フィラデルフィア「松風荘」襖絵を中心に』と言う副題の下に「千住博展」が開かれている。今朝の新日曜美術館ではこの襖絵の作成状況が映像で紹介されていた。千住博の「博」は右肩の「`(点)」を取った字だそうだが、ここでは「博」で代用させていただく。 フィラデルフィアのフェアモント公園内に現存する書院造りの「松風荘」は1954年に日米友好を願って、日本から米国市民への贈り物として、吉村順三の設計により建築されたものである。 当初の東山魁夷の襖絵は、管理上の不備により全て損傷してしまいまっていたが、最近になって千住がこの襖絵20枚を無償で制作、来年5月に寄贈されることとなっている。 今回、山種美術館でこの襖絵が初公開されているという。テレビを見終わってすぐに山種美術館に駆けつけた。 今日は昨日とはうって変わった好天気。半蔵門からの散歩も楽しい。まだ早いので襖絵を独占することもできた。特に第2室では、自分一人が三方の襖に囲まれるという幸運に恵まれた。
千住は現代アートで使われるアクリル絵具を流し込み、吹きつけ、最後に初めて日本画の筆を使用しているが、出来上がったこの作品はまさに日本文化の真髄を表現していた。米国におけるこのような千住の活動は、現在東京国立近代美術館で開かれている「日本絵画の揺らぎ」の延長線上にある。そしてこの襖画は、フィラデルフィアの「松風荘」という伝統的な日本建築の中で、「新しい日本絵画」として国際的に高い評価を受けることになると思う。 千住の古い作品としては、1984年のビルシリーズと呼ばれる《街・校舎・空》、《夜景》、《G市の記録》が出ていた。松本竣介ばりの象徴的都市画である。1987年の《月光》は斜め三列に分割した軸装の絵。1989年の《南方》は、左側は従来の日本画であるが右側は田中一村かアンリ・ルソーといった混淆的作品。1989年の《水・渓谷》は山が樹の年輪ように描かれた不思議な作品。同年の《四季・春》や2000年の《夜桜》はインパクトが弱い。1997年の《8月の空と雪》は墨をたらした画に小さな月を描き込んだものらしい。 最新作品の「フォーリングカラーズ」は、滝をいろいろな色彩で表現したものである。オランダの友人に勧められたものだという。確かに赤の滝は鮮烈であるが、10種類以上の滝が出てくるとアンディー・ウォーホルのマリリン・モンローや毛沢東のようでぞっとしない。 (2006.12a) |
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| 興福寺の境内を出て、地下道をくぐるとすぐに奈良国立博物館に着く。今回は本館に展示されている数多い仏像を見て回った。メインテーマは「大和の仏たち」である。 父が生前には毎週末に何時間もかかる列車に乗って京都や奈良の仏像に会いに行っていたが、わたしの場合仏像はコレカラである。西洋美術、日本美術と次第に自分の興味が広がってきたが、知識が増えるとともに面白さが深まってきている。仏像の場合も知識を少しずつ増やしていきたい。 ボランティアの方が付き添ってくださったので、楽しく会話しながら勉強することができた。あまり沢山観すぎて収拾がつかないので、ここでは今回の目玉展示を中心に記事を書きたい。
法隆寺の金堂四天王像のうちの《多聞天立像》の展示が行われていた。飛鳥時代のもので、それ以後のものとも明らかに違う。仏像はなにげなくすっきりと立っている。すこぶる簡素である。後代の多聞天は悪い邪鬼を踏みつけているが、この仏像ではイタズラそうに首を持ち上げた天邪鬼である。 このように百済観音と同時期の国宝が何気なく平常展に展示されているところに奈良国立博物館の凄さがある。 ボランティアは四天王の説明をし始めた。マージャンの東南西北(トン・ナン・シャー・ペー)にあわせて持国天・増長天・広目天・多聞天(じ・ぞう・こう・た=地蔵買うた)、相撲の緑・赤・白・黒房に相当する、多聞天は単独では毘沙門天であるといったことである。持・増・広・多(じ・ぞう・こう・た=地蔵買うた)は知っていたが黙って聞いていた。
「注目の逸品」コーナ−では、木造の《兜跋毘沙門天立像》が出ていた。これは館蔵の重文で平安初期に唐から伝来し現在は東寺にある兜跋毘沙門天立像の模刻である。これは11世紀の彩色像でなかなかの出来栄えである。仏像は大きすぎても小さすぎても異物感があるが、この像高は164 cmであるから人間並みの大きさで親しみやすい。 「兜跋毘沙門天」は西域の兜跋国(現在の吐魯番トルファンとも吐蕃チベットともいわれる)に出現したといわれ、王城鎮護のために城門に安置されるものである。通形の毘沙門天は邪気を踏んでいるが、兜跋毘沙門天は地天女が下から支えているのですぐに分かる。東京国立博物館の「仏像展」にも藤里毘沙門堂のものが出品されていた。 この仏像は、鳳凰を現した宝冠をかぶり、特殊な外套のような服をまとい、腕には海老籠手、脛には脛当を付けている。 3.その他 すぐお隣の興福寺からも国宝の脱活乾漆立像3体と行賀坐像が来ていた。興福寺の「国宝館」が狭すぎるからだろうか。 また光背だけを集めたコーナーがあり、驚いた。とくに当麻寺の《木造光背》は素晴らしい色彩が残っていた。 (2006.12a) |
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| 建物自体が国宝に指定されている。柱は太く、触ってみると15世紀の樹の勢いが伝わってくる。前一間が吹き放しとなっており寒い風が入ってくる。このような環境で鎮座しておられる仏たちは皆力強い。 1.薬師如来坐像 (室町時代、1415年):銅造。 堂々とした威厳をたたえた仏像である。もともと726年に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って作られた仏像の再興像。 2.日光・月光菩薩立像 (白鳳時代、7世紀末): 銅造。国宝館にある仏頭とともに1187年、飛鳥山田寺から興福寺の僧が奪ってきたもの。 3.文殊菩薩坐像(鎌倉時代初期): 寄木造。ふくよかな丸顔で、体格も良く、若々しさが伝わってくる。円座の下に獅子。これは「興福寺国宝展」でみた。 4.維麻居士坐像(鎌倉時代、1196年、定慶): 寄木造。写実的な彫刻として広く知られている。眉をひそめ、こちらを睨みつける激しい容貌や痩せた肉体は文殊菩薩と対照的である。四角座の下に獅子。これも「興福寺国宝展」でみた。 5.十二神将像(鎌倉時代初期): 寄木造。ダイナミックな動きの表現が素晴らしい。いずれの像も頭上には十二支の標幟をつけているが、暗いので単眼鏡で見ても識別できない。大部分は「興福寺国宝展」でみているはずだが、どれを見たのかも覚えていない。 6.四天王立像(平安時代初期): 一木造、怒りの表現が見事である。 (2006.12a) |
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| 2004年の「興福寺国宝展」で観ることが出来なかったホトケサマだけに御会いするつもりだったが、再会を果たした仏像の前からも去りがたかった。国宝に指定されている仏像に限ってメモしておく。リンクは文化財データベースに張らせていただいた。 1.仏頭 (白鳳時代、685年): もとは滅亡した蘇我氏を追慕する飛鳥の山田寺の本尊である金銅の丈六薬師如来像。1187年に興福寺の僧に奪われて東金堂の本尊となった。1411年の火災で完全に失われたとされていたが、1937年に現在の本尊の台座の中から頭部だけが発見された。 2.阿修羅 (天平時代、734年): わが国でもっとも人気のある仏像のひとつ。前回は何時お目にかかったか忘れている。修学旅行の時かもしれない。 釈迦の請願を守護する八部衆の一人だが、昔は悪鬼だったとのこと。 像は三面六臂、上半身は裸である。顔は正面は眉をひそめた深刻な表情であるが、左右の面はいたって無表情な少年のような顔つき。余分な筋肉がそぎ落とされ、広く伸びた4本の腕と合掌した2本の腕はこの像に素晴らしい空間性を与えている。 「はりぼて」のような乾漆像で軽いため火災の際にも持ち出され、助かったのであろう。鳥の頭を持った異形の迦楼羅を含むその他の八部衆や十大弟子のなかの六像も乾漆像である。 3.板彫十二神将(平安時代): 素晴らしい出来栄えで、それぞれの特徴が良く表現されている。動きのあるものはトクに印象的。日本にもこのように世界に通ずる技法が普及していたとは知らなかった。 4.法相六祖(鎌倉時代、1189年、康慶): 一部は「興福寺国宝展」でお目にかかっている。とても写実的な彫刻であることを再確認した。 5.金剛力士(鎌倉時代): 口を開けた阿形と口を閉じた吽形。この印象的な作品は東京の展覧会では異彩を放っていたが、奈良では仏様の中にそれなりに安住していた。 6.天灯鬼・龍灯鬼(鎌倉時代、1215年、康弁): 口を開け、左肩に燈籠を担ぐ赤鬼「天灯鬼」と口をヘの字の結んで燈籠を頭に乗せる青鬼「龍灯鬼》にも再会できた。またお会いしたいユーモラスな作品。 7.千手観音(鎌倉時代): 国宝館の中央に堂々と安置されている。天井まで届きそうな背の高さ。これでは東京の展覧会に持ってくるのは不可能である。持物の多様さは驚異的。 (2006.12a) |
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ブログに書いた次第で久し振りに奈良に来た。この県立美術館はまったく色気のないハコ。でも今回の中味は抜群。応挙と芦雪の師弟展である。前期とほとんど総入替の後期最終日に滑り込んだ。
テーマ別に応挙と芦雪が並べられ自然と両者を比較するように仕組まれている。その計画に乗って感想を書くことにする。
さてこうやって観てくると、応挙は努力の人であり、そして芦雪は感性の人であるということがいえる。静と動という違いに目を向ける人もいる。このようにそれぞれの個性に違いがあることは確かであるが、この二人の画家にはこれらの相違を上回るだけの数多くの共通点・類似点があることを今回の展覧会は教えてくれた。自分自身、今まで二人の相違点にばかり目を向けていたのではないかという気がしてくる。 人物・花鳥・山水のいずれにおいても画題はきわめて似ている。二人の子供に対する愛情深い眼差しを見るだけで、この二人の師弟としての連続性を読み取ることができる。応挙の《波状白骨座禅図》を観ると、彼も芦雪の負けない「遊び心」を持っていたことが分かる。そのような自由な描き方が出来たか否かは、画家自身の個性によるというよりも、その置かれた環境によるのではなかろうか。 (2006.12a) |
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U.昭和戦前期の美術
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